ビールの歴史 3.1. ビールは液体のパン

宗教とアルコール

ベルギーのアビー・ビール

ベルギーの修道院ビール Photo ©OPT-Avantages

仏教において殺生や姦淫などと並んで飲酒を戒めている在家の五戒の無意識的な影響なのでしょうか、それとも、苦行に苦行を重ねる修行僧からの連想なのかもしれません、私たち日本人にとって、宗教とお酒というのはどうにも互いに相容れないイメージがあります。ましてや、僧侶自ら酒造りに乗り出すなどという話を聞くと、もう生臭坊主もここに極まれりという感じを受けるでしょう。
実際、僧侶だけではなく信者の飲酒も禁じている宗教や宗派は少なくありませんし、およそ禁欲を旨としない宗教というのは想像しがたいものがあります。

そのせいなのかは分かりませんが、中世においては修道院でビールが造られていた、そして、修道院はむしろ醸造技術の集積センターとして機能していたなどという説明をされると、多くの日本人はこれを不思議なことと感じるようです。
修道院というと俗世を捨てて修行に専念する場であり、それは仏教でいうところの出家と同じ、頭を丸めすべての煩悩を断つというイメージなのでしょう。
その一方で、日本人の感覚ではお酒はまさにその捨て去るべき俗世の中でも、最も俗なるもの、低俗の代表のようなものですから、余計に奇妙に思われるのでしょう。

そこにはまた、酔っ払いに対して極めて寛容な日本社会という特殊性も関わっているのかもしれません。日本では酔った上での乱暴狼藉というのは、度を超せば犯罪ですが、ある程度までは大目に見る傾向がありますし、泥酔して色々な失敗をしでかしたという話はことに男性にとって武勇伝になりこそすれ、余程の破天荒なことでもなければ、その人格を疑われたりすることはありません。
これは即ち、酒を飲むというのは乱痴気騒ぎが起きるかもしれないという、ある程度までの暗黙の了解が社会にあるのであり、それ故に飲酒は楽しいけれども低俗、いや、低俗であればこその楽しみと見做されているのです。

修道院という大地主

マレドレットとマレッツ修道院

MaredretとMaredsouの修道院 Photo ©WBT-S.Wittenbol

しかしながら、日本以外の多くの国では、酔っていることはなんら釈明となることではなく、むしろ、酔って何かをしでかせば、立派な社会人ではないと見做される可能性すらあります。それがひいては飲酒をそれほど低俗な風習とは思わないという感覚につながります。

実際、キリスト教にとって酒は切っても切れない存在で、そもそもがワインはキリストの血の象徴であり、重要な儀式には欠かせないものだったのです。キリスト教と酒の親和性は最初から極めて高かったと言えるでしょう。

また、中世において修道院というのは、その設立理念はともかく、現実的には封建領主であり、そこでは麦も作られていれば、当時はホップ代わりに用いられていた様々な薬草も植えられていました。
さらには、巡礼者に対して宿と飲食を提供する役割も修道院にはあったので、私たちの思い浮かべる修道院生活、ひたすら禁欲的に静かに瞑想を続け、かろうじて生きていけるだけの食料を作って自給自足するというイメージからは大きくかけ離れ、自分たちで飲食する以上の穀物を耕作し、修道院内には大量のパンやビールをつくる施設もあったのです。

写真はビールのマレッツで有名なMaredsou修道院(奥)とMaredret修道院(手前)です。修道院はその周囲に牧草地や耕作地もあったわけですから、いかに広大な敷地を持っていたのかが分かるでしょう。
例えば、ベルギーには観光客でも見学できる修道院も多くあり、中には建物が崩れ去り廃墟と化しているところもありますが、昔日の栄光の名残を感じとることは十分にできます。ビール好きの方はぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

ビールは液体のパンである

荒野のヒエロニムス

レオナルド・ダ・ヴィンチ 未完の『荒野のヒエロニムス』

ビールには当時の宗教的な意味合いもありました。ワインがキリストの血であるなら、パンはキリストの肉であり、同じ麦から造られたビールは液体のパンであったのです。
さて、ビールが液体のパンであるということに関して、「昔の人は何を勘違いしたのか」などとしたり顔で書いていたサイトもありましたが、それこそ正に思い違いも甚だしく、「液体のパン」ということには極めて重要な意味があったのです。

キリスト教では四旬節(復活祭前の46日間)などで節制の習慣があり、特に近世までは断食を行い、祝宴は控えるというような趣旨の節制がなされていました。もちろん、断食ですからその間は食べ物を摂取することは基本的に禁止です。
というと、これまた日本人は骨と皮だけのような修行僧を思い浮かべてしまうかもしれません。とりわけ古代においてはそのような実践もあり、修道院の開祖ともいわれ砂漠で苦行を重ねた聖アントニウスや、同じく砂漠で隠遁生活を送った聖ヒエロニムスあたりは、正しくそのイメージと重なり合います。

しかし、中世において多くの場合、断食とはそのような命がけの修行などではなく、そもそもがラテン語で「断食」を表すabstineoという動詞は「差し控える、遠ざけておく」という程度の、それほど強い意味の語ではなく、佐藤(2014)によると「日ごろの食習慣を量的質的に制限するというにすぎない」のです(p.107)。
中世の修道院における断食とは、具体的には食事を1日に1回だけに制限する、それ以外は固形物を食べてはならないという程度ものであり、これは即ち「液体」ならば摂取してよいということにもなります。

ここにこそ正に、「液体のパン」としてのビールの存在価値があったのです。ビールは液体であるが故に断食中でも飲んでかまわないのであり、しかも、アミノ酸、ミネラル、ビタミンも豊富と栄養価が高いため、理想的な飲物であったわけです。

断食は命がけの実践ではない

オルヴァル修道院の中庭

Orval修道院 中庭の植物 Photo ©WBT-DavidSamyn

さて、この「ビールは断食中でも飲んでよい」という事実について、いくつかのビールの歴史を扱ったサイトでおもしろい逸話が語られています。
いわく、復活祭前のまだ寒い時期、暖房もなかったような中世の断食はさぞや苦難に満ちたものであったであろう。あるとき、修道僧が古文書に「断食期間は固形物を食べてはいけないが、液体は飲んでもよい」と書いてあるのを偶然に発見、機転の利いた修道僧は、ならばビールでも問題あるまいと飲んだのが始まりであるというものです。

暗い中世、辛い断食、寒い書庫の中に希望の灯火を見いだした、まあ逸話としてはよくできていますし、あたかも一休さんのごとく頓知で窮地を切り抜けるという話は万人受けしそうですが、まあ、これは民間伝承の類でしょう。そこには、個人の才覚で困難の中を切り開いて進んでいくという、いかにもな近代主観主義的な世界観が反映されてさえいます。
そもそもが水さえ飲んではならないというような生命を危機にさらす修行ではなかったので、古文書であらためて発見するまでもなく「液体は飲んで」いたのです。

たまたま一人の修道僧が埋もれていた古文書に書いてある一文を見つけただけで、全ヨーロッパの修道院が、しかも、宗派を超えてそれに従うほどの権威ある文書、あるいは、修道士だったのでしょうか?修道院とひとくくりにいっても、実際には多くの宗派がその実践を巡って対立していたりするので、すべての修道院を従わせるには相当の権威が必要です。
もし、そこまで権威ある文書、あるいは、修道士であったのなら、その文書がなんだったのか、あるいは、修道士が誰だったのか伝わっているはずです。もちろん、この手の伝承の常として、修道士は無名で古文書も何であったのかは分かりません。

さらに、固体はダメだが液体はかまわないという決まりは、なにもビールだけに限ったことではなく、多くの食品で論争を引き起こしてきました。たとえば、時代はずっと下がって、少し論点が異なってきますが、チョコレートもヨーロッパに入ってきた当時はそれが食べ物なのか薬なのかという点で争われたのです。当時は半固体・半液体状のドロドロとしたかたちで摂取されていて、固体、即ち食べ物だとしたら断食中に食べることはまかりならぬということなのですが、これが、液体、つまり、薬であれば断食中でも飲んでかまわなかったのです。
まあ、実際にそのようなことが書いてある古文書があって、それをどこかの修道僧が偶然に見つけたというようなことはあったのかもしれませんが、その発見が「ビールは液体のパンである」という思想の発端でないことだけは確かでしょう。

逸話の真偽はともかくとして、1つ確実に言えることは、宗教にとって、とりわけ、中世のキリスト教にとってビール醸造は、現代日本人が想像しているよりもはるかに自然で、そして、自明の行為であったということでしょう。

農民にとっての四旬節

ブリューゲル「謝肉祭と四旬節の戦い」

ブリューゲル「謝肉祭と四旬節の戦い」ウィーン美術史美術館蔵

四旬節の節制は聖職者の間だけではなく、世俗の人たちの間でもある程度守られていたようです。それでは、世俗の人たちが厳しい断食の修行に耐えていたのでしょうか。もちろん、そんなことはまったくありません。多くの場合、四旬節の節制というのは肉を食べてはいけないという程度のもので、魚や乳製品は摂ってもかまないのでした。魚が許されているというのは、日本人にも理解しやすいところでしょうか。
修道院の周りには人工の池が作られて、そこで淡水魚が飼われていたそうです。これは正に四旬節の食べるためのもので、そこからも、この断食というのがまったく命がけのものではなかったということが分かるかと思います。

ところで、四旬節の節制の起源がどこに求められるかというと、それはキリスト教の中心的な教義の1つである原罪にあります。本来、人間の原罪は知恵の実を食べたという神に対する傲慢の罪だったのですが、それが時代につれて肉欲の罪へとすり替わってゆきます。肉欲・姦淫は十戒や七つの大罪でも戒められていたものですが、そこからさらに、節制すべき対象が同じ肉体的な罪である大食へと拡大していきました。
つまり、過度の暴飲暴食を宗教的に戒めるというところが出発点であり、極限まで肉体を苦しめて精神的な悟りを得ようなどというものではなかったのです。

さらには、その四旬節の節制があるが故に、四旬節の直前に謝肉祭が繰り広げられるようになります。
謝肉祭とは四旬節の直前に繰り広げられるお祭りですが、これから始まる46日間の節制にそなえて(?)、食って飲んで大騒ぎするわけです。その伝統から肉欲的な部分がことさらに強調されて今日に伝わるのが有名なリオのカーニバルです。
直前の暴飲暴食が許されているというのは、正に日本人がその言葉を聞いて想像するような、修行としての断食からは遠くかけ離れたものだったのです。

For further reading

新書ヨーロッパ史 中世篇 (講談社現代新書), 堀越孝一(編), 2003, 講談社

いまだに中世といえば、教会によって個が抑圧された暗黒の時代というイメージが強いのではないでしょうか。教会の権力が絶大であったということは事実であっても、その下で暮らす人びとの生活があったわけですし、商売や交易も行われていたのです。この新書はまず概説として、ヨーロッパ中世の政治史的な流れを追った後、各論で生活環境と文明、教会、ユダヤ人、ルネサンスが論じられています。社会史、民衆史の個別テーマだけになってしまうのではなく、広く様々なテーマが扱われているので、中世史の入門書としておすすめの1冊です。

禁欲のヨーロッパ - 修道院の起源 (中公新書), 佐藤彰一, 2014, 中央公論新社

キリスト教においても「禁欲」は常に重要な課題であり、いかにして欲望を克服するのかを巡って様々な実践がなされてきたことは間違いありません。本書は古代ギリシア・ローマからはじまって、修道院制度が確立するまでの期間を、「禁欲」という観点から描き出した思想史です。しかし、禁欲が求められた思想的・文化的背景だけではなく、具体的な内容についても書かれているので、当時の禁欲の実践、例えば断食が私たちの抱いているイメージとは異なっていることも分かります。

References

—— 武田尚子, 2010, 『チョコレートの世界史―近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石 (中公新書)』, 中央公論新社

—— 戸田聡, 2008, 『キリスト教修道制の成立』, 創文社

—— ジャック・ル=ゴフ, 2006, 『中世の身体』, 藤原書店

| 目次 |